2011年03月13日

東日本大地震

とうとう、日本でも大地震が起こってしまいました。

いったい世界はどうなるのでしょう。

たまたま、自分は大阪在住なので、

今回の地震では特に影響を受けてはいませんが、

これから、全国的に問題が出てくるでしょう。

自分自身が問題なくても、

物流、エネルギー、食料など、タイムラグがあるけれども

必ず影響が出ます。

会社の取引先も心配です。

福島県に工場があります。

通信が出来ませんから、

詳細は不明ですし。

世界中でこれだけ大規模な地震が続けて起こるとなると、

ポールシフトも近いのかと思います。


こうなってしまっては、

人間は無力です。



本当に。


それにしても、

阪神大震災の時は、東京にいて、

何もありませんでした。

今回は大阪にいて何もありませんでした。

個人的にはありがたい事です。



そして、どういうわけか、

災害で亡くなった人は、

私の身代わりとなってくれたのではないか、

という気持ちがするのです。

ほんのちょっとの違いで、

私も巻き込まれていたかもしれません。

そう思うと、被災された方々に申し訳ない気持ちが湧いてくるのです。


関係ないと言い切ることが出来ません。


なんとか二次災害が出ないように、いのります。

posted by いのりひと at 16:20 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月08日

代りにやってくれている

悲惨な出来事が起こると、たまに思うことがあります。

もしかすると、これは私の代りにやってくれているのではないかと。
たとえば、殺人事件があったとする。

この間も、3才の子供が大学生に殺されるという悲惨な事件がありました。

もちろん、とんでもない大学生だと思うのですが、こんなことをやってはいけませんよ、ということで、この人は私の代りに殺人をやってくれたのではないかと思うわけです。

警告として。

NZの地震もそうです。

災害に備えなさいよという警告として発生したのではないのか。

実際のところ、これらの事件は私には何の関係もありません。

知らなければ別に知らずに済むことです。

それでも報道されて見てしまうと言うことはやっぱり何かある。

もしかすると本当は、あの殺人者は私がなっていたかもしれない。
だけど代りにあの大学生が殺人をやってくれた。

もしかすると、殺された子供は私の子供だったかもしれない。

だけど、あの子が代りに殺されてくれた。

なぜか、他人が私の罪を事前に防いでくれたのではないかと思うのです。

ひとつ罪が消えた。

私の中に潜在していた罪が表に現れて消えた。

そうすると、殺人者は自分で罪を被って私の罪を消してくれたことになります。

この感覚を完全に否定して、自分は絶対に殺人なんかしない、と言い切ることが出来ればいいのですが、残念ながら可能性は誰にでもあります。

今の日本なら、気を確かに持っていれば大丈夫でしょうが、一歩海外に出れば、戦争をしている国もあるわけで、こんな国では人を殺すことは日常なのですから、自分は絶対に殺人なんかしないと言い切ることは難しい。

代りに殺人をやってくれた、代りに殺されてくれた、代りに災害にあってくれた、申し訳ない、そんな気持ちになることがあります。
罪を消してくれた。

消えてゆく姿だと。

何も自分に起こることだけが罪を消してくれる訳でもないだろう。
世の中が全部繋がっているのなら、見るものすべてが私の罪を消してくれるのではないか。

たまにこんな感覚になるわけです。
posted by いのりひと at 08:22 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月05日

感謝にはトレーニングが必要

K´s通信に書いていました。

口に出したことは叶う。

愚痴を言えば愚痴が叶い、感謝すれば感謝したことが叶う。


残念ながら感謝する人は少ない。


たぶん本当。

感謝にはトレーニングが必要。

今の日本では。

口だけ、ありがとうございます、というのはいくらでもあります。
が、それさえ出来ない人がいます。

なんでもやってもらえるのが当たり前。

いつでも自分は悪くない。

人間の防衛本能がそうさせるのでしょうか。
そうすると、感謝をせずに愚痴を言うというのはかなり強力な行動です。

突破するには。

理性で考えて、感謝したほうが得、ということで感謝出来るならいいのですが、それならみんな感謝しています。

ということは。。

本質を考える必要があるようです。

思いついたらまた書きます。

posted by いのりひと at 09:42 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月25日

逆願望達成法2

起こってほしくないことが起こらないようにする方法。

逆願望達成法。

考えました。

嫌なことに対しては、嫌という。


私はタバコが嫌いです。

だから、キライキライ タバコ編 というブログを立ち上げました。

そこで、5記事ほど書くとネタがなくなりました。

そうすると、いつも鬱陶しいと思っていたくわえタバコしてるやつを

見かけなくなりました。

探さなくなったからでしょう。


ということは・・・


これは、逆願望達成法が成功したのではないでしょうか。

嫌いなところに文句を言うだけではなくて、

何かに書いて残せば、

それはもうすでに発生したことになるので、

そこで終わりということではないのかと。

結局、何時までも頭で考え込んでいるから、

嫌なことが何回も現れるのではないか。

願望達成法の場合は、達成したい目標を紙に書け、

ということのようですから、

逆願望達成法の場合も、

タバコよ消えろ、

無くなってしまえ、

ということをブログに書いたということからすると、

願望達成法と同じことをした、と考えてよさそうです。

それが、積極的な成功になったか、

消極的に安心になったか、という違いだったのかもしれません。



ということは、

起こってほしいことはブログに書けばいい、

ということでしょうか。


でも、金持ちになりたいと思ったとき、


金持ちになりたいと書くか、

貧乏は嫌いと書くか。


考えなくてはいけません。


強く思う方を書くべきなのですが、

残念ながら今のところ、

飯が食えない程の貧乏ではなく、

それなりに生活できているので、

強烈に金持ちになりたいと言うわけでもないようです。

さて、このような中途半端な状態で

願望が達成できるのでしょうか。

次は、これについて考えてみたいと思います。

タグ:願望達成
posted by いのりひと at 00:14 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月19日

逆願望達成

願望達成法というのがありますが、考えて見ると起こって欲しいことよりも、起こらないでほしいことの方が多いのです。

だから、逆願望達成法。

どうするか。

今、それを考えています。
posted by いのりひと at 09:37 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。