2011年03月08日

代りにやってくれている

悲惨な出来事が起こると、たまに思うことがあります。

もしかすると、これは私の代りにやってくれているのではないかと。
たとえば、殺人事件があったとする。

この間も、3才の子供が大学生に殺されるという悲惨な事件がありました。

もちろん、とんでもない大学生だと思うのですが、こんなことをやってはいけませんよ、ということで、この人は私の代りに殺人をやってくれたのではないかと思うわけです。

警告として。

NZの地震もそうです。

災害に備えなさいよという警告として発生したのではないのか。

実際のところ、これらの事件は私には何の関係もありません。

知らなければ別に知らずに済むことです。

それでも報道されて見てしまうと言うことはやっぱり何かある。

もしかすると本当は、あの殺人者は私がなっていたかもしれない。
だけど代りにあの大学生が殺人をやってくれた。

もしかすると、殺された子供は私の子供だったかもしれない。

だけど、あの子が代りに殺されてくれた。

なぜか、他人が私の罪を事前に防いでくれたのではないかと思うのです。

ひとつ罪が消えた。

私の中に潜在していた罪が表に現れて消えた。

そうすると、殺人者は自分で罪を被って私の罪を消してくれたことになります。

この感覚を完全に否定して、自分は絶対に殺人なんかしない、と言い切ることが出来ればいいのですが、残念ながら可能性は誰にでもあります。

今の日本なら、気を確かに持っていれば大丈夫でしょうが、一歩海外に出れば、戦争をしている国もあるわけで、こんな国では人を殺すことは日常なのですから、自分は絶対に殺人なんかしないと言い切ることは難しい。

代りに殺人をやってくれた、代りに殺されてくれた、代りに災害にあってくれた、申し訳ない、そんな気持ちになることがあります。
罪を消してくれた。

消えてゆく姿だと。

何も自分に起こることだけが罪を消してくれる訳でもないだろう。
世の中が全部繋がっているのなら、見るものすべてが私の罪を消してくれるのではないか。

たまにこんな感覚になるわけです。
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posted by いのりひと at 08:22 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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