2010年09月05日

さぬきうどんを食べに行く

さぬきうどんを食べに行く。

ということで、香川県まで。

日程は8月13日(金)から8月14日(土)の一泊二日。

まずは、三宮駅。

6番のバスでフェリーのりばへ。

200円。

ジャンボフェリー15:30〜19:30に乗って、いざ香川県。

料金は、4枚つづりで5900円。

ちなみに友人と2人でしたので往復分です。

のんびり4時間、フェリーに乗って到着。

フェリーの中でやっていたこと。

まずは、うどん。

しかし、いまいち。


はっきりいって、大阪の鶴丸うどんのほうがずっとうまい。

フェリーの兄ちゃん、うどんのゆで方わかってないな。


そして、フェリーで必死で読んでました。




う〜む。

どういうルートで回ればいいのか。

前の会社は四国だったので、

さぬきうどんは知っているけれど、

一日でどれくらい回れるのかは考えていなかった。

どんな風に回ればいいのやら・・・

見つけました。


ここで、お教えしましょう!

実際に回ることができたプラン。


まず、坂出付近に泊まります。

今回はここ。一人5000円でした。




うどんめぐりにはピッタリです。

ここからはじめて、

がもう⇒山下⇒山越⇒三島⇒宮武⇒竹清

と回ることができました。

7:45に出発して14:10終了。

そこからフェリー乗り場に戻って15:30乗船。

というところです。

残念ながら谷川製麺所がお盆休みだった・・・

本当に残念。



さて、実際の行動は、

フェリー乗り場についてから

すでに予約していたレンタくんでレンタカーを借りました。、



レンタル代は10400円。


まずは、四国でうどん屋へ。


すでに20:00だったので、

あまり開いていなかったのですが、

高松市内で1件発見。


うどん棒。


夜やっている店は少ないのですが、

ここは高松市内なので夜でもやっていました。

とりあえず、ぶっかけうどんのひや。

それとちくわの天ぷら。


ちくわの天ぷらが、揚げたてでうまい。

サクサクとした感じが。

そして、うどん。

ああ、さぬきうどん。

麺を食べる。

さぬきまで来てよかった。

ちょっとした感動を感じながら。

まず、さぬきでの一杯目はうどん棒でした。

ぶっかけ490円。ちく天120円。合計610円。

さぬきうどんとしては、高い。

しかし、大阪で普通に食べるとこんなに安くは無い。

まずは、上陸して一日目。

満足してホテルサンルート瀬戸大橋へ。


マッサージを呼んで就寝。

明日は本番です。

どうなるでしょうか。

続きはこちらのブログにアップしました。

気になる方はどうぞ。

http://ameblo.jp/ajapaja/entry-10645626839.html






posted by いのりひと at 13:23 | うどん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月01日

自由とは何者にも依存しないことである

このブログはあくまでもギャグ・ユーモアジャンルですから、

絶対に本気にしてはいけません。



さて、教義の解説の続きです。


2.自由とは何者にも依存しないことである。


いかがでしょうか。

神に祈るなどもってのほかです。

祈ると願うが違いましたか?

神にも頼ってはいけません。

宮本武蔵のように

「神仏は尊しされど神仏に頼らず」ということです。

子羊がいつまでも子羊でいられるわけもありません。

神々は子羊は財産ですから、

ある程度は守るわけですが、

増えすぎれば殺します。

神々にとって「賢い」というのは

自分たちのやってほしいことがわかる、

いわれたことはきちんとやる、

結局、服従し従順であるということです。

しかし、魂を持った人間は

それでは満足できません。

無理やり肉体につながれた魂、霊性は

どうしても自由を求めます。

もともと自由なのですから、

求める必要もありません。

もとに戻るだけのことです。

わざわざ神々に敵対する必要はありませんが、

もともとの自分を取り戻して悪いわけもありません。

肉体という折の中に閉じ込められている霊性は

物質的には不自由であっても

精神的には自由なわけです。

それは、いまここでも自由なわけです。

たとえば、

自分ひとりだけの部屋にいた場合、

誰にも邪魔されなければ、

何を考えてもかまいません。

会社で上司に怒られているのに

へらへら笑っていたらまずいでしょう。

しかし、起こられた直後であっても、

誰もいないところなら、

へらへら笑っていても文句を言われるわけではありません。

そんな時間や空間でさえ

怒られたことを考え続け泣けラバならないでしょうか?

へらへら笑っていたら不真面目だ!

とだれが言うのでしょうか?見てもいないのに。

そのとき、あなたは上司に依存していれば、

「なんとなしなければ」ということで

へらへらなんてしていられないでしょう。

会社に依存していれば、

やっぱりへらへらしていられないでしょう。

しかし、

金銭的な問題や、物質的な問題はなかなか解決しませんが、

精神的な依存については、

依存をやめればいいだけのことです。

そのことについて考えなければいいだけのことです。


自分に都合の悪いことを考え続けて

何の得がありますか?


物質的な問題の依存からの脱却は簡単ではありません。

しかし、

精神的な問題の依存からの脱却は、

決心さえすればいい。

あれがなければ死んでしまう、

ということを言う人がいますが、

そのときは、死ねばいいわけです。

人間、肉体はいつか死ぬのです。

酒を飲めなければ死んでしまうとか、

タバコをすえなければ死んでしまうとか、

テレビがなければ一日が過ごせないとか、

携帯がなければ不安で仕方がないとか、

無くて死ぬのなら死ねばいいわけです。

もちろん、肉体的に死んではいけません。

しかし、精神的に死ぬような苦しみを感じるということなら、

死ぬような苦しみを感じればいいだけのことです。

実際にそのようなことが起きて死んだ人を見たことがありません。



大切な物がなくなったときは

依存をやめるきっかけだと考えてみませんか。

もちろん、それはつらいことですから、

無理に望むことはないでしょう。


ここでいいたいことは、

あなたは、意識・無意識に関わらず、

何かに依存していませんか、ということです。

これが理解できれば

精神の自立に一歩近づきます。

何かを追い求めるとき、

つかめない何かに、求めて得るための何かに

依存していることになります。

無位の真人なら

求めることは無いのですから、

何にも依存をしていませんので自由であるということです。

肉体は時間とともに滅びますが、

霊魂は不滅で、

時間にも空間にも縛られず、

完全なのですから、なにも求める必要が無い。

神々に対して肉体的に奴隷となっても

精神的・霊性的には差別が無い。

依存しないことが自由であるということを理解すること。

これが2番目の教義ということになります。

この、1,2の教義から何が分かるようになるでしょうか。

それについては、これから考えていくことにしましょう。

今回はこんなところで。



無位の真人




タグ:自由 依存
posted by いのりひと at 00:00 | 子羊の自立 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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